韓国ドラマ「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」は、見終わったあとにしばらくぼーっとしてしまうタイプの作品だと思います。
ロマンスとしても泣けるし、ファンタジーとしても美しいし、でもちゃんと人生の「時間の長さと重さ」の話をしてくるので、軽い気持ちで見ると心を持っていかれる…そんなドラマ。
この記事では気になったところの考察を挟みつつ、感想を紹介します。
※この先はがっつり結末まで書きますので、未視聴で結末を知りたくない方はここでストップしてください。
Kコンテンツ歴約6年
母の影響で韓国にハマる。
勇気がなくて整形は無理。

ざっくりあらすじ紹介(ネタバレあり)
主人公は高麗時代の英雄キム・シン(コン・ユ)。

若い王の嫉妬と奸臣の策略で「逆賊」とされ、無実のまま処刑されてしまいます。
本来ならそこで人生は終わりなんですが、あまりにも多くの血を流したことが「神の罰」になってしまい、胸に剣を刺したまま「トッケビ(鬼)」として900年以上も生き続けることになるんですね。
これがまず一番の悲劇ポイントです。
この不滅の命を終わらせる唯一の方法が「トッケビの花嫁」だけが見えて、抜けるはずの胸の剣。
ところが900年間誰も現れない。
そこに現代で出会うのが、幽霊が見える女子高生チ・ウンタク(キム・ゴウン)。

彼女は本当なら生まれる前に死んでいたはずの子なのに、昔キム・シンが妊婦を助けたせいで運命が変わり、生まれてきた存在です。
だからウンタクは「私がトッケビの花嫁です」と当然のように言う。
実際に彼女にはシンの胸の剣が見えていた。ここで物語が一気に動き出します。
そしてこの家に、もう一人の重要人物「死神(イ・ドンウク)」が同居するようになります。

この死神がまた事情ありで、前世の罪によって記憶を消された存在で、人の死亡を管理しているんですが、後に前世が「シンを殺した若い王」だったことがわかってきます。
死神がサニーに惹かれるのも、前世で王が愛した王妃キム・ソン(ユ・インナ)だったから、

とファンタジーでありながらもしっかり練られて伏線も綺麗に回収していく作品です。
物語中盤までで刺さったところ
①「剣を抜いてほしいけど、生きていたい」という矛盾
シンは最初、「花嫁が見つかったらやっと終われる」と思っていたはずなのに、ウンタクと過ごすうちに「終わりたくない」という欲が出てくるんですよね。
ここがこのドラマの切なさの肝。
楽しくて、人と一緒にご飯を食べて笑っていると「じゃあなぜ終わらなきゃいけないの?」になる。
けれど剣を抜かないとシンの存在そのものがウンタクの命を脅かす側に回る可能性がある、というのがのちの伏線になるわけです。
② コメディシーンとの温度差
トッケビと死神のバディ感は、重いストーリーの中での癒やし。
ドアを開けたらカナダ、みたいな超常現象を日常でやりますし、二人とも性格がちょっと繊細なのでケンカも子どもっぽい。
あの軽さがなかったら、後半の運命論がもっと重く感じたと思います。
③ サニーの存在
サニーは一見「ちょっと変わったチキン屋の社長」なんですが、実はサニーのところにウンタクが転がり込んだことで、死神とも繋がり、さらにシンの過去とも繋がるように神が配置していたっぽい。
のちに「全部覚えていた」サニーのラジオへの投書が、死神を呼び戻すきっかけになるので、ここは意図的に書かれていたのでしょうね。
終盤は涙腺崩壊
いちばん涙腺を持っていかれるのはやっぱり終盤です。
- シンはいったん「無」に帰り、消える。
- しかしウンタクはその後の人生で大人になり、ラジオDJとして幸せに暮らす。
- ところがウンタクは、死神が受け取った「スクールバス事故」のカードに名前があったことで、子どもたちを守るために自分がハンドルを切って犠牲になる。ここでウンタクは一度死にます。
- シンはひたすら彼女を待つ。
- 生まれ変わったウンタクが再びシンの前に現れる。
- さらに別ラインで、サニーと死神も「今世では一度抱きしめて終わりにしよう」と別れを選ぶが、最後はまた転生後に再会する描写が入る。
つまり、表向きは悲しい別れがありつつも、輪廻を通して「また会う」ことが約束された、韓国ドラマでよくあるけれど「ここまでロマンチックにやる?」というレベルのラストです。
しかも再会の場所がカナダ・ケベックで、雪の中という絵になる舞台。画の美しさ込みで記憶に残る終わり方になっています。
特にここが良かった…という感想
① 「罰としての不滅」を最後まで手放さないところ
多くの作品だと「真実の愛を得たから呪いが解けました」で終わるんですが、「トッケビ」はもっと渋くて、シンの不滅はぱっと消えないんですよね。神のルールは神のルールのまま残る。
そのかわり「その長い時間を共にしてくれる存在と何度でも会えるようにする」という方向で救済している。
ここが大人向けだなと思いました。
罰を都合よくなかったことにせず、「罰を持ったまま生きやすくする」方に寄せているからです。
② 恋愛が「今この瞬間が尊い」という描き方になっている
ウンタクは一度命を落としますが、あれは「誰かを助けるために自分が犠牲になる」きれいな死に方として描かれています。
事故のカードが破棄されたのにウンタクだけは死ぬことになる、というやるせなさはありますが、ここは「ウンタクはもともと生まれないはずだった命」という設定があるので、ドラマ全体としては「もらった分を返した」とも読めるんですよね。
考え方は人それぞれでしょうが、個人的には納得感ありました。
③ バディものとしても完成している
シンと死神がいるから、このドラマは最終回まで暗くなりすぎません。
特に最後、サニーに会いに行く死神を、シンがさりげなく手配してあげるところなんかは、お互いの前世を知ったうえで「それでも友だちだよね」という答えを出している感じで、ここでまた泣けるんですよ。
いくつかの考察
① なぜウンタクだけが何度もシンに会えるのか
作中で繰り返し出てくるのは「本来死ぬはずだった運命をトッケビが変えてしまった」という事実です。
ウンタクは最初から神の目に「例外扱い」されているので、死神のカードが破棄される・されないのラインにも関係なく、特別に扱われていると考えた方が自然です。
つまり「トッケビが起こした因果の後始末を、神がロマンチックな方向に補正した」と読むと、最終回のご都合感が薄まります。
ウンタクが赤い服の女(=神的な存在)と何度か会っていることも、この「調整」をしているのではないかと思っています。
② 死神とサニーが「今世ではここまで」と別れた理由
ラジオへの手紙でサニーが全部覚えていたことがわかった時点で、二人は「記憶を持ったまま今世を走り切るとしんどすぎる」と判断したんだと思います。
前世でひどい別れ方をしているので、今世では「ちゃんと好きだったことを伝えて、手をつないで終わる」という、一番シンプルで一番できなかった形で終わらせた。
これは最終的に転生後の姿が少し映ることで裏付けられています。つまり「前世は最悪、今世はまぁまぁ、来世では最高の結果に」ということなんでしょう。
そうであってほしい。
③ 王(=死神)の罪の重さとシンの許し
死神が自分の前世を思い出してからの申し訳なさはかなり丁寧に描かれていて、あれは「罪を忘れさせられたけれど、結局は思い出して自分で向き合う」物語です。
これに対してシンはちゃんと許す方向に行く。
これは900年の時間があったからできたことで、時間の長さがテーマに関係してくる場面です。
まとめ
「トッケビ」は、ロマンスのフリをして「時間の話」と「赦しの話」をずっとしているドラマでした。
特に、終盤でウンタクが事故で亡くなるところは「ここで終わるの?」と思うほどきれいに悲しくて、でも数年後の再会シーンでちゃんと救ってくれるから、視聴後感は重くなりすぎません。
長命の男と、もともと生まれないはずだった少女。
この組み合わせで「また会おうね」が可能になるように、最初から神(脚本)が細かくコマを置いていたんだなとわかるのがほんとにすごい。
日本で同じことしたら超チープになりかねない。というか多分企画が通らなそう。
個人的には、シンとウンタクが初めて「本当に抜くのかどうか」で揺れるあたりが一番心に残っています。
愛しているから終わらせてあげたい、でも愛しているから終わらせたくない。
この矛盾をそのまま物語にしてしまったのがこの作品のすごいところで、だからこそ多くの人が「一度見たらしばらく立ち直れない」と言っているんだと思います。
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